俳優の永山絢斗さんといえば、永山竜弥さんと永山瑛太さんと兄二人が俳優であることは有名です。
実家は焼肉店を営んでいましたが、両親は離婚しており、父親はすでに他界していることがわかっています。
どこかクールな印象のある永山絢斗さんですが、どのような生い立ちを持っているのでしょうか?
今回は、永山絢斗さんの生い立ちや家族に関する情報を詳しくお届けしてきます。
永山絢斗のプロフィール
引用:LEON
- 本名:永山絢斗(ながやま けんと)
- 生年月日:1989年3月7日
- 年齢:35歳
- 出身地:東京都板橋区
- 身長:177cm
- 血液型:B型
- 職業:俳優
- 所属事務所:パパドゥ
三人兄弟の末っ子として生まれた永山絢斗さん。
兄弟仲は非常に良く、長男とは10歳、次男とは6歳と年齢が離れていることもあり、幼少期から可愛がられて育ったようです。
兄の永山瑛太さんが2014年に放送された『おしゃれイズム』に出演された際には、兄弟仲についてこのように語っていました。
永山絢斗さん側から兄弟仲に関するエピソードが出たことはあまりありませんが、年の離れた男兄弟として良い関係を築かれていたものと思われます。
永山絢斗の生い立ち総まとめ!学歴&経歴も
両親は離婚し父子家庭に
永山絢斗さんのご両親は、1999年に離婚されています。
当時の永山絢斗さんの年齢は10歳頃です。
子供たちの親権は父親が持ち、子供たちが自立するまで父子家庭で男3人を育て上げました。
離婚理由は不明ですが、思春期で多感な時期の両親の離婚は永山絢斗さんの心に大きなダメージを与えたことは言うまでもありません。
ネット上では両親離婚の永山絢斗さんの年齢は中高生という情報もありましたが、それらはデマ情報です。6歳年上の兄の瑛太さんが中高生の頃のお話なので、混同されているのかもしれません。
母親と二人暮らしの時期も
両親が離婚後、永山絢斗さんはしばらく母親と二人暮らしをしていました。
男三人兄弟だが、両親が離婚して小学校高学年の頃から母親と二人暮らししていたという絢斗。
引用:シネマトゥディ
永山絢斗さんだけが母親と暮らしていた理由は不明ですが、
- 小学生ということもあり母親の管理下におくほうが良いと両親が判断した
- 本人が母親と暮らすことを望んだ
- 兄2人が芸能活動をしていたため生活拠点が合わなかった
などが考えられます。
出身校(学歴)一覧!サッカーで都大会の実力
永山絢斗さんの出身校の一覧がこちら。
- 2001年3月:板橋区立蓮根第二小学校
- 2004年3月:板橋区立志村第三中学
- 2004年4月:通信制の高校へ進学
- 2007年3月:通信制の高校を卒業
小学生の時からサッカーを始め、中学生の時には東京都大会に進出した経験もあります。
しかし、中学1年生で部活を辞めてしまい、一時期はフラフラしてやさぐれていたんだとか。
そんな時に、兄の永山瑛太さんの作品と出会い、人生が動き出します。
兄のデビュー作で俳優を志す
中学1年の夏、永山絢斗さんは兄・永山瑛太の映画デビュー作『青い春』と出会い、衝撃を受けたそう。
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当時の気持ちをこう語っています。
「兄が初めて映像でデビューした作品なんですけど、それは自分の中で衝撃的すぎて、何百回観たんだろう。本当に頭からケツ(最後)まで同じタイミングでセリフも言えました」
引用:シネマトゥディ
その後、高校まではずるずると過ごしましたが、通信制高校入学後に兄の永山瑛太さんに
と相談しました。すると永山瑛太さんはプロデューサーを紹介してくれました。
しかし、そのプロデューサーからは
と、厳しい言葉をかけられたのです。
ただ、これは無責任に手放しで応援することなく永山絢斗さんのことを思っての愛ある叱咤だったのだと思われます。
プロデューサに対し、永山絢斗さんは
と火がつき、通っていた通信制高校では半年で2年近くの単位を全部取得。
すると、例のプロデューサーから
との声がかかり、俳優人生がスタートしました。
今はもう俳優として自立しているため、兄弟でお互いの作品をチェックすることはないんだとか。
俳優として着実にキャリアを積む
2007年(18歳頃)にTVドラマ「おじいさん先生 熱闘篇」で俳優デビューし、翌2008年に新垣結衣主演の「フレフレ少女」で映画デビューを果たした永山絢斗さん。
兄の永山瑛太さんほどブレイクはしませんでしたが、着実に俳優としてのキャリアを積み重ねました。
2010年と2022年には賞も受賞されています。
- 2010年 第34回日本アカデミー賞 新人俳優賞(『ソフトボーイ』)
- 2022年 第36回高崎映画祭 最優秀助演俳優賞(『LOVE LIFE』)
2010年には「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」や「悪人」などの話題作に相次いで出演。
以降、2011年にはNHK連続テレビ小説「おひさま」や2016年「べっぴんさん」などにも出演。
脇役で実力のある俳優へと成長しました。
父親が自殺で亡くなる
永山絢斗さんが俳優としての仕事も安定してきた頃、2011年2月16日に父親の博文さんが55歳の若さで亡くなりました。
博文さんの死因は自殺。東京板橋区の自宅マンションで首をつっている状態で、博文さんの姉に発見され搬送されましたが、帰らぬ人となりました。
自宅には「喪主は瑛太で。迷惑かけてごめん」とノートに書き置きがあったと伝えられました。
当時の博文さんについては、
- 経営するお店が客の入りが悪くうまくいっていなかった
- 首のヘルニアを患い、頸椎手術の経過があまり良くなく不眠気味だった
など、精神的に追い詰められていた様子が報じられていました。
永山絢斗さんは、父の死から2日後の2011年2月18日に日本アカデミー賞授賞式がありました。
引用:スポニチ
出席したものの笑顔はなく、主催者にコメントを伝え式典を20分残し途中退席しています。
愛する父の死というのも、永山絢斗さんの人生に大きなダメージを与えたものと考えられます。
主要キャラクターを演じた話題作公開直前に逮捕
永山絢斗さんは、2023年にブレイクが期待されていました。
前作が大ヒットした映画の続編「東京リベンジャーズ2」 にて、主要キャラクター・場地圭介役に抜擢。
引用:シネマトゥデイ
2023年4月に前編が公開され話題を呼び、2023年6月に公開される後編もヒット間違いなしとされていました。
しかしながら、公開を控える2023年6月16日未明、永山絢斗さんは東京・目黒区のマンションで大麻を所持したとして大麻取締法違反の容疑で逮捕されました。
人気キャラクターを演じていただけに、作品のファンからも悲しみの声があがっています。
永山絢斗の実家や家族構成は?
永山絢斗さんの実家の家族構成は、
- 父親:永山博文
- 母親
- 兄(長男):永山竜弥
- 兄(次男):永山瑛太
- 本人(三男):永山絢斗
こちらの5名です。
先述の通り両親は離婚しております。
父親の永山博文は焼肉屋「瑛斗弥(えどや)」を経営
永山絢斗さんの父親・永山博文さんは、鹿児島県姶良郡湧水町出身で、祖父は元武士という家系で育ちました。
1999年に離婚し男手一つで子供たちを育て上げると、2009年に焼肉屋をオープン。
お店の名前は子供3人の名前から一文字ずつとった「瑛斗弥(えどや)」で、開店当初マスコミにも報じられていました。
お店は実家近くの東京都板橋区高島平にあり、都営三田線西台駅の高架下に位置していました。
イケオジ店長として話題になりましたが、晩年は経営不信が続いていたようです。
兄(長男)は永山竜弥
永山絢斗さんの上の兄は、永山竜弥さんです。
引用:FLASH
- 本名:永山竜弥(ながやま たつや)
- 生年月日 1979年11月24日
- 年齢:44歳
- 出身地:東京都板橋区
- 身長:179cm
- 血液型:O型
- 身長/体重:178cm/72kg
- 趣味:料理、登山、釣り、ジョギング
- 特技:カレー、パスタ作り
- 職業:俳優、写真家
- 所属事務所:エビス大黒舎
2003年に猪俣ユキ監督のショートムービー「ナオと僕」で映画初出演、俳優デビューしている永山竜弥さん。
モデル、写真家、舞台俳優として活動後、俳優活動を休止。
電化製品の配送の運転手の仕事をしていましたが、2020年より再び俳優として活動を再開させました。
俳優業再開のきっかけは2018年、40歳を前にしたタイミングで劇団をやっている友人に舞台に誘われて出演してみたことでした。
「劇団をやっている友人にばったり会って、舞台に誘われたんです。僕は人見知りですし、舞台に対して苦手意識があったので、『イヤだな』と思いました(笑)。でも、年齢的にもいまが最後のチャンスかなと思い、出てみたら、めちゃくちゃおもしろかったんです。本当にやってよかった。もうやめず、このまま死ぬまで俳優を続けようと強く思いました」
引用:FLASH
朗読劇にも挑戦するうちに現在の事務所と出会い、2020年1月にはテレビドラマ『病室で念仏を唱えないでください』(TBS系)の第1話に出演を果たしました。
#病室で念仏を唱えないでください#もうすぐ始まるっ‼️#永山竜弥 #ねんとな #ねんとなポーズ#誰かに似ている…🤔#熱演お見逃しなく pic.twitter.com/xJzkO1yRBy
— 病室で念仏を唱えないでください【公式】 (@nembutsu_tbs) January 17, 2020
弟の永山瑛太さんからは『よかったよ』とLINEが来たと明かしています。
兄(次男)は永山瑛太
永山絢斗さんの兄は、永山瑛太さんです。
引用:シネマトゥデイ
- 旧芸名:EITA、瑛太(えいた)
- 本名:永山瑛太(ながやま えいた)
- 生年月日:1982年12月13日
- 年齢:41歳
- 出身地:東京都板橋区
- 身長:179cm
- 血液型:B型
- 所属事務所:パパドゥ(2001年〜2021年)、個人事務所(2021年〜)
1999年7月に「ホットドッグプレス」でモデルデビューし、2001年にフジテレビ系ドラマ『さよなら、小津先生』で俳優デビューした永山瑛太さん。。
しばらくはEITAや本名の永山瑛太で活動していましたが、当時は全くつながりのないプロデューサー永山耕三さんと苗字が同じということで縁戚関係などを疑われることを面倒くさく思い「瑛太」に改名しました。
その後は『WATER BOYS』などで注目を浴びブレイク。人気役者の仲間入りを果たしました。
2020年から芸名を本名であるフルネームの「永山瑛太」に改名。
2021年3月31日に20年間所属した事務所パパドゥを退社し、同年4月からは独立、個人事務所での活動を始めました。
プライベートでは2010年夏に歌手の木村カエラさんと結婚。同年10月28日に第一子となる長男が、2013年5月15日に第二子となる長女が誕生しています。
引用:FRIDAY
子供が生まれてからは、夫婦揃って子供の学校行事に出席する様子も度々週刊誌で伝えられています。
近年は年を重ねて渋みのある演技に定評があり、ネット上でも「イケオジ」との評価を得ています。
永山三兄弟の中で最も役者として知名度が高く、多くの人気作品に出演し、多くの賞を獲得している実力派俳優です。