世界で活躍しているギタリスト・布袋寅泰さん。
今井美樹さんとは“おしどり夫婦”であることで有名ですが、実は過去に別の女性とも結婚していました。
元夫人の名前は山下久美子さん。
今回は、布袋寅泰さんの元夫人がどんな人物なのか、
- 元夫人のプロフィール情報
- 二人の馴れ初め
- 二人の離婚理由
- 元夫人の現在や再婚・子供などの家族
といった気になる情報をお届けしていきます。
布袋寅泰の元夫人・山下久美子のwikiプロフィール
引用:讀賣新聞
- 名前:山下久美子(やました くみこ)
- 生年月日:1959年1月26日
- 年齢:65歳
- 出身地:大分県別府市
- 出身校:別府大学附属高等学校中退
- 所属事務所:ソルチ・ミュージック・エンタテインメント
1980〜1990年代に人気を集めた歌手の山下久美子さん。
代表作は1982年発売のシングル「赤道小町ドキッ」など。
「胸キュン」というフレーズを最初に発した人物としても知られています。
布袋寅泰と元夫人・山下久美子の馴れ初めは?
布袋寅泰さんと山下久美子さんの出会いのきっかけは、山下久美子さんのアルバム「BLONDE」に布袋寅泰さんがギターサポートとして参加したことでした。
当時の年齢は、布袋寅泰さんが23歳、山下久美子さんが26歳。
山下久美子さんは初めて会った時から布袋寅泰さんのギターに惚れ込んだのだとか。
それからというもの、布袋寅泰さんは山下久美子さんのライブでギタリストを務めるなど彼女の作り出す音楽に欠かせない存在となっていきました。
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交際がスタートしたのも自然な流れだったのだと分かりますね。
その後、1985年に結婚。結婚時の年齢は布袋寅泰さんが23歳、山下久美子さんが27歳でした。
結婚式では吉川晃司さん、アン・ルイスさん、桑田佳祐さん、大澤誉志幸、植木等さんなどが登場するなど音楽番組レベルの豪華なステージだったようです。
ただ、当時「学園祭の女王」「総立ちの久美子」と呼ばれていた山下久美子さんに対して布袋寅泰さんが無名のギタリストだったことから「格差結婚」「専業主夫」などとディスる表現も横行していました。
お互い同じ音楽業界で、そして近いジャンルで活躍していたこともあり、お互いに嫉妬し合うような関係だったそう。
その後も公私共に不可欠なパートナーとして結婚生活を送っていましたが、結婚から12年後の1997年に離婚されてしまいました。
布袋寅泰と元夫人・山下久美子の離婚理由は?
山下久美子さんの自伝「ある愛の詩」では、布袋寅泰さんとの結婚生活が赤裸々に綴られていました。
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若い時には布袋寅泰さんが山下久美子さんの元カレにバッタリ居合わせただけで激怒したり、仲裁に入った吉川晃司さんにも殴りかかるという嫉妬から始まった血気盛んなエピソードもありました。
特に若い彼に至っては、嫉妬心においても尋常ではなかった「レッドシューズ」で呑んでいたときに、昔のボーイフレンドが入ってきたというだけで喧嘩になったり、たまたま居合わせた吉川が仲裁に入ると、今度は彼らが殴り合いを始めたりする始末だった。
元彼に嫉妬するくらいラブラブだったお二人は、なぜ離婚に至ってしまったのでしょうか?
離婚理由①ミュージシャンとしての嫉妬
結婚当初は「格差婚」と言われているほど知名度に差のあったお二人ですが、BOOWYは次第に人気を集めていきました。
結婚の翌年の1987年には「MARIONETTE」が大ヒットし、国民的人気バンドへと成長していきました。
山下久美子さんのライブにサポートの布袋寅泰さん目当ての客も増え始め、人気逆転状態に。山下久美子さんは当時の感情を自伝にこう綴っています。
私のコンサートのはずなのに、明らかにギタリスト布袋寅泰目当てで来るファンが増え始めたのだ。
サポートの位置にいるはずの彼が、いつのまにか私と同列かそれ以上になり始めてる。それは私にとって予想外の脅威だった。不安にかられた。
すると彼に対して素直に向き合えなくなり、どこか屈折に近い感情を持ち始めた。たとえば、BOOWYがチャートのトップにランクインしたことですら、素直に喜べなかった。
そして、ある日山下久美子さんは布袋寅泰さんと一緒にステージに立った時に「もう彼には敵わない」という気持ちになってしまいました。
そして、1988年12月5日のコンサートを持って音楽活動を2年間も休止することとなりました。
布袋寅泰さんの才能や実力を誰よりも近くで感じていた山下久美子さんでしたが、プロのミュージシャン同士ということでその感情は複雑なものだったようです。
活動休止中は、犬を飼い始めたり、料理、妊活をするなど、妻としての勤めを果たそうとしていたようです。
BOOWYは1988年、人気絶頂期に解散をしましたが、布袋寅泰さんはソロ活動や楽曲提供、そして吉川晃司さんとの「COMPLEX」など休む暇なく活動を続けました。
離婚理由②ミュージシャンとしての嫉妬
山下久美子さんは、1991年に歌手活動を再開させました。
一方、布袋寅泰さんは、COMPLEXを1990年に解散あと、イギリスでの活動が増えていきました。
1993年7月にはアルバムのレコーディングで半年間も単身渡英。
ロンドンに部屋を借りて長期滞在で音楽活動を進めていくこととなりました。
復帰後も人気が逆転したままだったお二人。東京とイギリスでのすれ違い生活で、さらに2人の間の溝は深まっていきました。
離婚理由③今井美樹の不倫略奪
最も大きな離婚理由とされているのは、布袋寅泰さんと今井美樹さんの不倫です。
元々、今井美樹さんは山下久美子さんと交流がありました。
山下久美子さんのサポートメンバーのドラム担当で当時新婚だった椎野恭一さんを今井美樹さんが略奪する形で交際をスタートさせ、同棲状態にありました。(椎野恭一さんはその後新妻と離婚)
今井美樹さんが山下久美子さんに憧れていたことから交流を持ち、やがて親友と言える関係性になっていきました。
そんな中、今井美樹さんは山下久美子さんの夫である布袋寅泰さんとの関係も深めていき…自伝には山下久美子さんが不倫関係に勘づく様子が綴られていました。
「お疲れさまーっ」私は努めて明るい声で言うと、彼の横に座った。けれども、それはもともとふたりがいた空間に、違う人が入り込んでいったかのような雰囲気で、何とも妙だった。
なぜ、私はこんなことを感じているのだろう?突然彼が「さっきステージで指を折っちゃったかもしれないんだ」と、私の前に指を差し出した。
どことなく甘える仕草で。「どの指?」と私は手に触れた。そのときだった。
彼女が少し苛立った感じで「私 途中下車しまーすっ!」と言ったのは。え?途中下車って何っ!?言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。事態は思ったより深刻だったことに気付いた。
当時週刊誌でも布袋寅泰さんと今井美樹さんの不倫疑惑が取り上げられましたが、この時は山下久美子さんは「絶対にない」と破局説を否定していました。
しかし、夫婦関係は既に破綻していました。
山下久美子さんが布袋寅泰さんに今井美樹さんのことが好きかと聞くと、普通に「好きだよ」と返答する始末。
布袋寅泰さんは今井美樹さんの家から帰らない日もあったそう。
間女である今井美樹さんも、2人の関係を壊そうと働きかけます。
ある日、山下久美子さんの自宅に今井美樹さんから電話がかかってきたそう。
電話に出ると今井美樹さんから「彼いる?」と質問があり、山下久美子さんが「いない」と返答すると「あ、今シャワーだ!」といって電話が切られたこともあったんだとか。
わざわざ2人で一緒にいる時に、しかもシャワーという事後を想像させるタイミングで電話をかけてきているということです。間違えて電話したなんてことはないはずで、挑発目的の確信犯だと分かりますね。
また別の時には自宅のポストに離婚届が投函されていたこともあったそう…
恐ろしい略奪により、山下久美子さんと布袋寅泰さんの仲は引き裂かれてしまったのです。
布袋寅泰の元夫人・山下久美子は現在再婚せず子供も
ミュージシャンとしての人気逆転からくる嫉妬、多忙によるすれ違い、そして略奪不倫により布袋寅泰さんと離婚された山下久美子さん。
今では名前を聞くこともほとんどなくなりましたが、現在は何をされているのでしょうか?
再婚せず子供が2人
山下久美子さんは、離婚から3年後の2000年に出産をされていました。
2000年、41歳で双子の姉妹「あかねちゃん」と「ひかるちゃん」を出産された山下久美子さん。
子供の父親は久しぶりに再開した独身の知人だそうで、一般人なのか名前等は非公表となっていました。
結婚はせず、シングルマザーとして出産され子育てをされていました。
結婚しなかった理由は、当時「別の尊い絆で結ばれているように思えるから」と語っていました。
未婚でいるのには、布袋寅泰さんとの結婚生活なども影響しているのかもしれません。
2人の娘さんは、デビュー40周年の2020年に成人を迎えられました。
イベントやライブで活動中
「学園祭の女王」として名を馳せた山下久美子さんは、現在も現役でイベントやライブ活動を行なっています。
2020年にはデビュー40周年を記念して90年代の代表曲を集めたベスト盤「愛☆溢れて!~Full Of Lovable People~」をリリース。
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今もなお根強いファンを持ち、精力的に活動されています。
一度は活動休止となりましたが、そこから復帰されて今もなお音楽業界で活躍されているのは素晴らしいですね。